新南風俳句会と私

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<<   作成日時 : 2007/10/04 21:05   >>

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大津皇子と大伯皇女

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本日の「よみうり西部俳壇」神尾久美子選に私の句が採られていた。

皇子眠る二上山のちちろかな    ゆうと

半月くらい前の涼しくなった頃、ベランダへ出て虫の声を聞いていると、子育て真っ最中の30年前の頃を思い出した。その頃、私たち家族は大阪の八尾市に住んでいた。その頃の我が家のベランダからは、生駒山、高安山、信貴山、二上山、葛城山が見渡せた。次男坊が生まれたのはその頃で、信貴山を眺めながら「信貴山に福あり」から「信貴山福」、これを逆しまに読むと次男坊の名前になる。(信貴山縁起絵巻は倉が空を飛んでいくことから話が始まる。我が家の次男坊も少し飛んでいる。)

「皇子(ミコ)眠る・・・」の皇子は「大津皇子」である。645年の大化改新から壬申の乱以後、権力者達は権力継承を巡って肉親の間で骨肉の争いを繰り広げた。その犠牲になったのが、有馬皇子であり、大津皇子であった。
もはやこれまでと悟った大津の皇子は、伊勢神宮に斎宮として仕えている姉の大伯皇女へ別れを告げに行く。その大伯皇女の歌を紹介する。

我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし

うつそみの人なる我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに


「弟背」は、イロセと読み、同母兄弟を姉妹が親しく呼ぶ呼称。

(奄美の方言で姉のことを「アセ」という。私の伯母で「マキ」という方がおられて、父はその伯母のことを「マキアセ」と呼んでいた。この「セ」と上記「セ」無関係ではないような気がする。)

大津皇子と二上山について興味を覚えた方は、下記をクリックすると、詳しい情報が見られます。

http://www.asuka-tobira.com/futakamiyama/futakamiyama.html





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